舟山やすえ

ごあいさつ略歴Web版 教えて!やすえちゃん

  • 参議院議員
    ◆ 所属政党:国民民主党
    ◆ 国会内会派:国民民主党・新緑風会
  • 国民民主党・新緑風会 議員会長
  • 国民民主党 両院議員総会長 農林水産調査会長
  • 参議院 農林水産委員会理事 消費者問題に関する特別委員会委員
  • 一般社団法人 置賜自給圏推進機構 常務理事

ごあいさつ

新型コロナを契機に、私たちはたくさんの教訓を得ました。その1つは、グローバル化の負の側面が露呈したことです。マスクや医療用品の不足は、私たちの生活に深刻な影響を及ぼした他、部品の供給不足による生産活動の停滞といった事態にも直面しました。食料も同じリスクを抱えています。「自国でまかなえるものはできるだけ自国でつくる。」総合的な安全保障施策を確立すべきです。もう1つは、東京一極集中の脆弱性です。人の集まるところほど感染症に弱く、混乱も大きい実態が明らかになった今、地方こそがその強みを発揮できる時です。国の持続可能性の観点からも、財源・権限の委譲(地方分権)をさらに進め、地域の資源を生かした分散型社会の推進に本気で取り組む必要があります。「正直」で「偏らない」「現実的」な政治姿勢を貫き、政治への信頼回復を図り、行政監視と政策提案の両面に取り組み、新しい社会像をつくるために皆様のチカラをお貸しください。皆様からのご支援とご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

理念と政策

ご協力のお願い

 

略歴

1966年 5月 埼玉県越谷市生まれ
1985年 3月 埼玉県立浦和第一女子高等学校卒業
1990年 3月 北海道大学農学部農業経済学科卒業
1990年 4月 農林水産省入省
経済局国際部、関東農政局、経済企画庁、近畿農政局等勤務
2000年 3月 農林水産省退職
2000年 4月 結婚、夫の実家の山形県小国町に転居、小国ガスエネルギー株式会社専務に就任
2007年 7月 第21回 参議院選挙 初当選(山形県選挙区)
2009年 9月~2010年 9月 農林水産大臣政務官
2013年 7月 第23回 参議院選挙で252,040票獲得するも惜敗
JA女性部の一員として地域農業の現場から活動を再開
2014年 8月 一般社団法人置賜自給圏推進機構設立、常務理事に就任
2016年 7月 第24回 参議院選挙で344,356票獲得し2期目の当選(山形県選挙区)
2018年 5月~2020年 9月 会派国会対策委員長
2020年 9月 国民民主党 入党
2020年 9月~2021年12月 国民民主党政務調査会長
2022年 7月 第26回 参議院選挙で3期目の当選(山形県選挙区)

提案と実績

 

Web版 教えて!やすえちゃん

舟山やすえの半生。舟山やすえはどんな人?

実は泣き虫、農業への想い

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Q. 幼少期は、どんな子供だったの?

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A. 今の私からは想像できないと言われそうですが、実は泣き虫でした。農業との出会いも子供の頃でした。

1966年埼玉県越谷市に生まれ、父母と妹との4人暮らしで幼少期を過ごしました。厳格な母に躾けられたためか、曲がったことを見過ごせない性格に育った反面、実は泣き虫でした。小学校では学級委員長もつとめ、中学校では陸上部に所属し成績もよく、自分でいうのもなんですが、どちらかと言えば、優等生タイプでした。
子供の頃は、夏休みに北海道旭川市にある母の実家を訪れ、自然の中を駆け回って遊ぶのが、毎年とても楽しみでしたね。

北海道の祖父母は農家を営んでいました。育てた米や野菜をリヤカーに乗せ街へ売りに行って生計を立てていました。そんな祖父母を見ながら、山々に囲まれた緑の風景の美しさや空気のおいしさを味わい、自然に対する親しみが湧いて、農業に興味を持ちました。それが私の原体験・原風景となっています。

 

初めての挫折、将来の夢

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Q. 高校生活はどうだったの?

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A. 「超」落ちこぼれの高校生でした。

中学時代まではそれなりに成績がよく、高校は進学校へと進むことができました。ところが、高校では超が付くほどの「落ちこぼれ」になってしまいました。同級生はみんな頭も良ければスポーツもできてピアノがうまいとか、とにかく文武両道の優等生の集まりでした。それで自信を失い、勉強も嫌になってしまって、成績もどん底でした。

そんな中でも「正義感だけは別格だよね」と同級生には褒められてましたが、今でも会う度にからかわれます 笑 後に大人なってからも、喧嘩の仲裁をしたり、ゴミのポイ捨てを注意したり、正義感だけは幼い頃から染み付いているのかもしれません。

落ちこぼれながらも、同級生に感化され、自分自身のことだけでなく、社会問題にも興味を持ち始めました。ちょうどその頃はアフリカの飢餓問題がクローズアップされていて、チャリティーコンサートが世界各地で開催されていました。多感な時期にそれを目の当たりにし、「飢餓をなくしたい」「品種改良で砂漠でも育つような作物をつくりたい」と本気で考え、「農業に関わる仕事がしたい」と将来の夢を描いた時期でした。

 

学生生活を満喫、夢をカタチへ

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Q. 大学生活はどうだったの?

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A. 農業への道に進みたくて、母の出身地でもある北海道の大学へ行きました。

農業への興味や高校時代の関心もあって、1年間の予備校生活を経て、北海道大学農学部へ進学しました。実は本当は農学科にいきたかったのですが、教養部の成績に応じて志望が叶う仕組みで、第五志望の農業経済学科になってしまいました。
というのも、大学時代はバリバリの体育会系で、勉強よりも合気道と体育会本部役員の活動に夢中だったんです。体育会の合同飲み会にも頻繁に顔を出していましたが、猛者揃いの体育会の仲間の中でも、大酒飲みの方でしたね 笑

希望通りではなかった学科でしたが、農業経済を学ぶ中で、国の基本政策に従い、真面目に頑張っている農家ほど借金が多かったり経営が厳しそうだったりしていることを実感し、「この状況をどうにかするには、国の政策を変えなければ!」と考えるようになりました。



充実の毎日 仕事も、お酒も

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Q. 社会人生活はどうだったの?

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A. 日本の農業を変えたくて、農林水産省へ入省しました。

日本の農業を変えたいという志を叶えるべく、国家公務員試験を受け、農林水産省に何とか入省することができました。国内の農業に関わりたかったのですが、英語がペラペラだった訳でもないのに、なぜか国際部へ配属されました。国際部では、農産物の自由化や関税関連など海外との交渉役を担当し、本当に多忙でしたが、充実した日々を送っていました。国会答弁作りも任され、当時の上司が、汚い・・・ではなくて、味のある字で書いた原稿を清書したりしたことも、今ではいい思い出です。当時は、深夜まで残業した後、ちょっと一杯行くかと居酒屋に繰り出してから、家にたどり着き、次の朝早く仕事に向かう、というのが当たり前でした。普段はなかなか話すこともできないような大先輩とも本音で語り合う機会を持てたことは、その後の人生にとって貴重な糧となりました。

その後は、やはり地方の農業に関わりたい想いが叶い、関東農政局へ。さらに、経済企画庁への出向→近畿農政局→大臣官房調査課へと渡り歩きました。経済企画庁時代には少子高齢化をテーマにした白書の制作に関わりました。各国の事例を収集したり、スウェーデンの福祉を研究されていた専門家を招いて話しを伺ったりしたことも、思い出の一つです。そんな経験をしながら、官僚として10年間勤め上げました。

 

小国町へ そして、青天の霹靂

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Q. なぜ山形県に移住したの?どうして政治家に?

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A. 結婚を機に退職し、夫の地元である山形県小国町へ移住しました。そして、思いも掛けない出馬要請。

予備校時代に知り合った夫との結婚を機に、2000年に農林水産省を退職し、山形県小国町へ移住しました。夫は小国町出身で、燃料と設備の会社を経営していました。嫁いだ後、その会社で仕事をしていましたので、ガス関係や危険物の資格も取得したんですよ。
生活面では雪深い土地なので雪掻きが大変でしたが、子供にも恵まれて、移住して4年くらいは本当に何も考えずに平穏に暮らしてしていました。

そんなある日、地元選出の近藤洋介、故鹿野道彦、両国会議員(当時)から突然電話が来たんです。参議院選挙で、山形県の民主党候補者が決まっていないのは、第三者として新聞では読んでいました。
長野県で衆議院議員となっていた農水省時代の上司が「元部下が山形に嫁いで行った」と、余計なことを教えたようで 笑「候補者が見付からないから、誰でもいい」ぐらいの話なのだろうと思い、出馬なんて夢にも思ってもいませんでした。

 

政治の師・鹿野道彦先生の言葉で

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Q. 出馬する事になったきっかけは?

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A. ある女性先輩議員の出会いと、鹿野先生からの言葉に心を打たれました。

出馬のお誘いがありながら、引き受ける気は全くなかったのですが、鹿野道彦先生がわざわざ自宅にお見えになりました。一時間半くらい、正座したままの姿勢で私の目をまっすぐ見てお話をされたことが印象に残っています。その場で断るのも失礼だと思い、「少し、考えさせてください」とお返事しました。
誠意を見せるつもりで、上京して、議員会館の事務所へ挨拶にお伺いしましたが、もちろんその時点では、本当にお断りするつもりでした。

ところが、そこで転機となる出会いがあったんです。とある、新人女性国会議員を紹介されて、色々なお話を伺いました。お子さんを育てながら議員をしていたので、「大変ですね」と言ったら、明るい笑顔で「子供がいるからこそ頑張らないといけない」と即座に答えられ、「すごいなぁ」と思うと同時にハッとさせられました。そして、最終的に決定打となったのは、鹿野先生の「日本の農業をなんとかしたくて農林水産省に入ったんでしょ?その志は捨てたんですか?」という言葉でした。鹿野先生のその言葉に心を打たれ、気持ちが変わった上に、周りも後押ししてくれたことで、決心に至りました。

 

落選、そして初当選

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Q. 当選までの道のりは順風満帆?

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A. 落選も経験し、辞めようと思ったこともありました。

立候補表明は、忘れもしない2004年4月19日でした。はじめは悩み抜いた出馬も、決意したからには「絶対当選するんだ」と思っていましたし、何より「正しいことを言っているのだから有権者の皆さんに必ずわかってもらえる」と、完全に思い込んでいました。今思えば、持ち前の「正義感」のなせる無謀な初挑戦だったのかもしれません。結果は落選、落ち込みましたね。そして、「応援して下さった方にも申し訳ない」という気持ちでいっぱいでした。一回一回が真剣勝負で、「駄目だったら、次を目指せばいい」というものでもないと思っていました。しかし、県連が常任幹事として迎え入れてくれて、落選はしたものの活動に関わらせてもらえたんです。

その後、3人目の子供を授かったこともあり、政治活動を辞めようと鹿野道彦先生にお会いし、「政治活動を辞めたい」と切り出そうとしたところ、「今はとにかく、元気なお子さんを生むことだけを考えて。何も言わなくて、何も考えなくていいから」と鹿野先生が私の言葉を遮りました。今振り返れば、私が何を伝えようとしたのか、察知し機転を働かせた鹿野先生のおかげで、今の私があります。結局、私はその後も政治活動を続けることになり、2007年の参議院選挙で、山形県選挙区で初当選を果たすことができました。
「日本の農業をなんとかしたいという志は捨てたんですか?」と鹿野先生に問われたところから、自身の想いを見つめ直し、それが実った瞬間であり、いよいよその舞台に立てるという身の引き締まる瞬間でもありました。



党派を超えた政治の師・岸宏一先生

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Q. 故岸宏一先生とは、なぜ親しくなったの?

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A. 初当選して初めて国会で活動し始めて以来、色々ご指導をいただきました。

私が初挑戦し落選した2004年の参議院選挙で、対立候補として、胸をお借りしたのが岸宏一先生でした。
岸先生は、与野党を問わず幅広く人気と人望をお持ちの方で、今振り返れば、党派を超えて、私にも接していただいていたのだと思います。
与野党の垣根を越えて、県民の皆様の声に耳を傾け、是々非々で国会で発言するという私の政治姿勢の原点は、岸先生の背中を見て学んだものです。
2016年の選挙には不出馬を決め、勇退されましたが、2013年の選挙で落選していた私は、その選挙で再挑戦し2期目の当選をすることができました。その時に、岸先生が使っていた事務所をそのまま譲ってもらったのが、現在も私が使わせていただいている事務所です。2017年10月に岸宏一先生が、2021年10月に鹿野道彦先生が残念ながらご逝去されましたが、私にとって政治の師であるお二人の志を胸に、今後も活動していきたいです。

 

声なき声を届ける

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Q. どんな想いで議員活動をしているの?

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A. みなさんの意見を聞き、声を届けることが使命だと思っています。

「子育てしながら、大変じゃないですか?」と聞かれる事があります。大変は大変でしたが、家族や周りのサポートもあり、何とか乗り切れました。子供たちも子供なりに理解してくれていたと感じます。やはり一度きりの人生なので、色々経験してみる。もちろん迷う時もあるけど、どうせなら進んで後悔する方がよいと常に考えているんです。

私は、国会議員という「肩書き」を持っていますが、たまたまそういう立場にいるだけって気がしています。だからこそ、人の意見を聞いて、その意見を届けたいし、困っている事があれば解決したい。誰もが直接ものを言える訳ないから、議員として代わりにものを言える立場に置かせていただいていると思っています。また、女性議員として関われることも大事にしたいと考えています。私が初出馬した時から、女性議員への世の中のイメージも、今ではだいぶ変わっていると感じますが、政策決定が男性視点に偏り過ぎないように、これからもしっかり声を上げていきたいと思います。具体的には、先進国でこれだけ男女の賃金格差が大きい国は他にないですし、社会の中で女性が不利に置かれてる点は改めていかなければいけないですよね。

 

意外?実は外弁慶

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Q. やすえちゃんの家族は?私生活はどんな感じなの?

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A. 家族の中では弱い立場ですね 笑

現在も山形県小国町を拠点に、夫と子供三人(1男2女)、義母、愛犬モモという家族構成です。保護犬だったモモを引き取り、我が家の一員となってから、3年半になります。家庭では、私は東京との行き来で留守にすることが多いのでちょっと立場が弱いですね 笑 もともとデジタル機器に強くないところがあるんですが、娘のスマホのお下がりをもらって使い方を教わったりしながら助けてもらっています。仕事で留守がちで、助けてもらうばかりの家族のみんなには頭が上がらず、舟山家の中での発言力は年々下がる一方ですね 笑

趣味は山登りです。とは言っても、体力も時間もなくなってきて中々機会がないのですが、また再開したいですね。
それからサイクリングも好きです。コロナ禍で山形への往来が制限された頃、都内でサイクリングを始めました。実は、高校時代に足を怪我した時に、陸上部からサイクリング部に転向したんです。

他には、愛犬モモとの散歩です。県内各地を飛び回る中、小国町の自宅にはあまり戻れないんですが、モモとの散歩は癒される瞬間ですね。趣味の時間ぐらい、仕事のことを忘れてリフレッシュした方がいいのかもしれませんが、体を動かすと不思議と、政策のアイデアがひらめくことも多いですね。
音楽を聴くのも好きです。クラシックをよく聴くんですが、特にベートーベンが好きですね。交響曲第6番「田園」や交響曲第5番「運命」の第2楽章をよく聞きます。小国町は周りに家が少ないので結構、大音量でかけてしまいます。ご近所に気兼ねなく音を出せるのも、田舎生活のいいところかもしれませんね。